みなさん! ごきげんいかがですか。
今日の辻説法は 【 心はいつも霊鷲山 ・・・ 】 です。
霊鷲山 ( りょうじゅせん ) ・・・
【 北緯25度0分7秒 東経85度26分48秒 】
【 北緯25.00194 東経85.44667度 座標 】
現在のインド ・ ラージギルの東方にあるSailaーgiriの
南面の山腹にある山のことです。
霊鷲山は地球上に一箇所しかありません。
現在はチャタ ( Chata ) 山と呼ばれています。
この山でお釈迦様は無量寿経と妙法蓮華経はじめ沢山のお経を説法されたのです。
ところがお釈迦様が亡くなってから2400年後には
この山が何処にあるか分からなくなってしまったのです。
本当ですよ。
明治36年 ( 1903年 ) 1月14日朝
大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を
仏典上の霊鷲山と同一と確定したのです。
数年後のインド考古局第3代目の長官ジョーン ・ マーシャルの調査によって
国際的に承認されました。
つい百年前のことです。
※ 【 大谷探検隊 】 は20世紀初頭に日本の浄土真宗本願寺派第22代法主
大谷光瑞が、中央アジアに派遣した学術探検隊。
この山で説法された無量寿経 ( 康 僧鎧訳 ) と法華経 ( 鳩摩羅什訳 ) の冒頭には
【 我聞 如是 一時 仏住 王舎城耆闍崛山中 與大比丘衆 萬二千人倶 】
【 如是 我聞 一時 仏住 王舎城耆闍崛山中 與大比丘衆 萬二千人倶 】
と書かれています。
【 如是 我聞 】 が入れ替わっているだけです。
法華経の如来寿量品第十六の久遠偈 ・ くおんげ ( 自我偈 ) に
霊鷲山が二箇所出てきます。
【 倶出霊鷲山 】 と 【 常在霊鷲山 】 です。
拳骨和尚は法華経を読誦する時はいつもお釈迦様と一緒です。
お経を読みながらお釈迦様の説法を聞いています。
それと拳骨和尚の生涯の大仕事 !
大曼荼羅を書写する時もです。
【 心はいつも霊鷲山 ・・・ 】 なのです。
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仏法の 【 菩薩行 】 を実践する 【 行者 】 はもちろんのこと !
【 学者さん 】 も 【 信者さん 】 も
心はいつも霊鷲山にあらねば
お釈迦様の弟子とは言えませんね。
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