【 はい ! 読みました 】
【 いい返事だね〜 】
【 気持ちがいいよ ! 】
これが石川先生の口癖です。
今朝も !
石川秀頴の声で目が覚めました。
拳骨和尚事吉野智応 いやこの時は吉野恭申です。
名前を呼ばれ 【 はい ! 】 と返事をした時には
いつもこう言われました。
幾つになっても誉められると嬉しいものです。
人間は偉くなると 【 はい ! 】 の返事が出来なくなるのです。
幼稚園児の時は誰でも 【 はい ! 】 と言えるのにです。
そうでしょう。
そして年を取ればとるほど変骨になって来ます。
本当に 【 偉大 】 な人は
誰に呼ばれても 【 はい 】 と返事をなされます。
石川秀頴先生のお陰で
拳骨和尚は 【 偉い人 】 と 【 偉そうな人 】 の違いが
はっきりと ! 解かるようになりました。
大石寺の67世の管長さんが
【 御法主上人猊下さま 】 と呼ばれた時に
素直に 【 はい 】 と返事をされた等と聞いたことがありません。
先生のお墓には 【 妙昇阿闍梨秀頴坊日哲大徳 】 と刻まれています。
石川先生は 【 日哲上人 】 です。
何かとても先生らしいお名前です。
さて ! 貞観政要の話です。
【 臣下 】
太宗皇帝に意見をした人です。
命懸けです。
今の日本国総理大臣に 【 バカ 】 といっても殺されませんが
朝鮮民主主義人民共和国の総書記に 【 バ○ 】 と言っただけで
確実に処刑されます。
その韓半島に実際に存在する高麗 ( 国 ) の
王から人民に到るまですべて
皆殺しにして根絶やしにする寸前の事だったのです。
【 どうか陛下には 皇祖なる老子の止足の戒めに従い
万世にわたる偉大なる名誉を保ち
雨のような広大な恩恵を発し
寛大な詔を降され 陽春のごとき徳沢を施し
高麗を許して 過ちを改めさせ
海に浮かべる大船を焼き
応募した兵卒をやめて
郷里に帰してやっていただきとうございます。
そのようにすれば 自然に中国も異民族も
すべて陛下になつき従い 遠方の国も静まり
近い国内も平和になることでしょう。】
いやはや !
とんでもない時にとんでもない事を言う臣下でしょう。
もう既に軍備も整い兵士達も訓練を終えて
【 いざ ! 出陣 】 の時だったのです。
さらに続けます。
【 私は老病の三公で まもなく死ぬ身でございます。
ただ残念なことは 私の塵や露のような微小な力が
陛下の海や山岳のような徳に
少しでも貢献することができない事でございます。
そこで慎んで死に際の残りの息のある限りを尽くして
あらかじめ 『 死後に草を結んで 』
生前の恩に報ずるまごころの代わりといたしたいと思います。
もし この私の死に際の哀鳴をお取りあげいただけますれば
私は死んでも この御恩は永久に朽ちないものと信じます 】 と。
このように上表 ( 君主に意見を書いた文書を奉ること ) しました。
太宗皇帝は ! どのように言われたのでしょう。
【 太宗は この上表を見て嘆息して言った
「 この人は このような危篤の状態にありながらも
我が国家の前途について憂慮している。 真の忠臣である 」 】
と言ったのです。
この人の名は書かれていません。
がっ !
この人こそ ! 真の英雄です。
ここで拳骨和尚は解からない事がありました。
【 死後に草を結んで 生前の恩に報ずる まごころの代わりに 】
です。
原文では 【 預 代 結 草 之 誠 】 です。
書き下し文は
【 預 ( あらかじ ) め 草を結ぶの誠に代 ( か ) ふ 】 です。
何の意味かまったく解かりませんでした。
子供の頃
草むらで草を結んで輪を作り 友達を呼んでつまづかせ
転んだ友達を見て ! 喜んで遊んだ事を思い出しました。
次は 【 結草 】 をお話しましょう。
【 いい返事だね〜 】
【 気持ちがいいよ ! 】
これが石川先生の口癖です。
今朝も !
石川秀頴の声で目が覚めました。
拳骨和尚事吉野智応 いやこの時は吉野恭申です。
名前を呼ばれ 【 はい ! 】 と返事をした時には
いつもこう言われました。
幾つになっても誉められると嬉しいものです。
人間は偉くなると 【 はい ! 】 の返事が出来なくなるのです。
幼稚園児の時は誰でも 【 はい ! 】 と言えるのにです。
そうでしょう。
そして年を取ればとるほど変骨になって来ます。
本当に 【 偉大 】 な人は
誰に呼ばれても 【 はい 】 と返事をなされます。
石川秀頴先生のお陰で
拳骨和尚は 【 偉い人 】 と 【 偉そうな人 】 の違いが
はっきりと ! 解かるようになりました。
大石寺の67世の管長さんが
【 御法主上人猊下さま 】 と呼ばれた時に
素直に 【 はい 】 と返事をされた等と聞いたことがありません。
先生のお墓には 【 妙昇阿闍梨秀頴坊日哲大徳 】 と刻まれています。
石川先生は 【 日哲上人 】 です。
何かとても先生らしいお名前です。
さて ! 貞観政要の話です。
【 臣下 】
太宗皇帝に意見をした人です。
命懸けです。
今の日本国総理大臣に 【 バカ 】 といっても殺されませんが
朝鮮民主主義人民共和国の総書記に 【 バ○ 】 と言っただけで
確実に処刑されます。
その韓半島に実際に存在する高麗 ( 国 ) の
王から人民に到るまですべて
皆殺しにして根絶やしにする寸前の事だったのです。
【 どうか陛下には 皇祖なる老子の止足の戒めに従い
万世にわたる偉大なる名誉を保ち
雨のような広大な恩恵を発し
寛大な詔を降され 陽春のごとき徳沢を施し
高麗を許して 過ちを改めさせ
海に浮かべる大船を焼き
応募した兵卒をやめて
郷里に帰してやっていただきとうございます。
そのようにすれば 自然に中国も異民族も
すべて陛下になつき従い 遠方の国も静まり
近い国内も平和になることでしょう。】
いやはや !
とんでもない時にとんでもない事を言う臣下でしょう。
もう既に軍備も整い兵士達も訓練を終えて
【 いざ ! 出陣 】 の時だったのです。
さらに続けます。
【 私は老病の三公で まもなく死ぬ身でございます。
ただ残念なことは 私の塵や露のような微小な力が
陛下の海や山岳のような徳に
少しでも貢献することができない事でございます。
そこで慎んで死に際の残りの息のある限りを尽くして
あらかじめ 『 死後に草を結んで 』
生前の恩に報ずるまごころの代わりといたしたいと思います。
もし この私の死に際の哀鳴をお取りあげいただけますれば
私は死んでも この御恩は永久に朽ちないものと信じます 】 と。
このように上表 ( 君主に意見を書いた文書を奉ること ) しました。
太宗皇帝は ! どのように言われたのでしょう。
【 太宗は この上表を見て嘆息して言った
「 この人は このような危篤の状態にありながらも
我が国家の前途について憂慮している。 真の忠臣である 」 】
と言ったのです。
この人の名は書かれていません。
がっ !
この人こそ ! 真の英雄です。
ここで拳骨和尚は解からない事がありました。
【 死後に草を結んで 生前の恩に報ずる まごころの代わりに 】
です。
原文では 【 預 代 結 草 之 誠 】 です。
書き下し文は
【 預 ( あらかじ ) め 草を結ぶの誠に代 ( か ) ふ 】 です。
何の意味かまったく解かりませんでした。
子供の頃
草むらで草を結んで輪を作り 友達を呼んでつまづかせ
転んだ友達を見て ! 喜んで遊んだ事を思い出しました。
次は 【 結草 】 をお話しましょう。
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