みなさん ! ごきげんいかがですか。
今朝 ! 石川先生の声で目を覚ました拳骨和尚は
いの一番に書庫から 【 貞観政要 】 を出しました。
開いた所にいきなり載っていたのは
1.戦争
2.高麗
3.臣下
4.死刑執行
でした。
驚きました。
ここで 【 貞観政要 ・ じょうがんせいよう 】 について
簡単な説明をしておきましょう。
唐の時代に 『 貞観の治 』 と呼ばれる最高の治世を出現させた
第2代皇帝 ・ 太宗 李世民の政治についての記録です。
日蓮大聖人も常に座右に置かれ 文永7年 ( 1270年 ) に
御自身で書写されています。
君臣の問答の記録です。
我が師日蓮の国家と国主への諫暁の書 【 立正安国論 】 の手本に
なった書です。
この書は日本の政治文化にも大きな影響を与えてきました。
北条政子が自ら邦訳を命じました。
徳川家康や明治天皇も愛読しました。
現代では帝王学と言うよりも
【 リーダー 】 が学ぶ危機を乗り越える為の必読の書です。
それでは今朝一番で見たところを紹介します。
【 そればかりか兵は凶器であり 戦争は危険なことであります。
どうしても やむを得ないときだけにもちいるものでございます。
かりにもし 高麗が唐朝に対する臣節に違背いたしましたならば
陛下がこれを誅伐してさしつかえありません。
中国の人民を侵掠したならば
陛下がこれを滅ぼしてもさしつかえありません。
永久に中国に対して患害をなすものでありますならば
陛下がこれを攻めて降参させてもさしつかえありません。
この中のどれか一つでもございましたならば
たとい我が兵を一日に一万人殺すような戦いをしても
恥ずべき行為ではございません。 】
しかし それをした所で
【 得るところのものは少なくて 損失するものは大き過ぎるのでは
ございませんか 】 と書かれていました。
前後しますがその前のページには
【 領土を拡張することも止めるべき時と思います。
かの高麗などと申すものは
はるかに遠い辺境の卑しい異民族であります。
仁義の道を以て待遇する相手ではなく
中国の礼儀を要求する相手でも
ございません。
古来 魚や鼈 ( すっぽん ) と同様にあしらっていたものでございます。
それゆえ少々の無礼がございましても
大目に見て見逃してやるのがよろしいと存じます。
もしその一族を皆殺しにしてしまおうとお思いになりますならば
獣でも追い詰められればつかみかかって来ますから
高麗も必ず頑強に抵抗する事が非常に心配でございます。 】
と何とも他に言いようのない
現代の日本の様子とも思われる記述がありました。
また死刑執行については
【 陛下には死刑囚を裁決するごとに
必ず三度調べなおし
五度奏上する事を命じ
絶対に誤りがないと言う事になって死罪に処します。
その執行の日には
肉のない素食を進め音楽を停止なされるのは人命は重いもので
聖なる慈愛の御心を感動されるからでございましょう 】
と書かれ
そして武器 ・ 凶器としての兵士については
【 まして今兵士達は 何一つ罪のない者でございます。
理由もなく戦陣の間に駆り出され 鋒刃の下に命を落とし
その肝や脳は泥にまみれ その魂魄は帰るべきところもないようにさせ
兵士達の老父 ・ 孤児 ・ 寡婦 ・ 慈母たちに棺を載せた車を
望んで涙にくれ 枯骨を抱いて胸を痛ませます。
こうした多くの国民の悲しみの集まるところ
必ずや陰陽の変動が生じ
気候の不順を招き 凶作不作となり
全国民の激しい恨みとなります。】
と書かれていました。
わが師日蓮の立正安国論の冒頭部分はこれを引用されています。
今朝の 【 吉野 ! これを読みなさい 】 の声は
まさに ! 時空を飛び越えた恩師の慈悲の声です。
その昔 石川先生 !
私を日蓮正宗の坊さんにして下さい ! とお願いしました。
少し考えてから 【 止めとけ 】 と言われた訳が解かりました。
平成二十一年の一月三十一日は
石川秀頴上人の 【 十三回忌 】 です。
早いものです。
決して偶然ではないと思うのです。
次回は太宗皇帝に意見をした臣下の話です。
今朝 ! 石川先生の声で目を覚ました拳骨和尚は
いの一番に書庫から 【 貞観政要 】 を出しました。
開いた所にいきなり載っていたのは
1.戦争
2.高麗
3.臣下
4.死刑執行
でした。
驚きました。
ここで 【 貞観政要 ・ じょうがんせいよう 】 について
簡単な説明をしておきましょう。
唐の時代に 『 貞観の治 』 と呼ばれる最高の治世を出現させた
第2代皇帝 ・ 太宗 李世民の政治についての記録です。
日蓮大聖人も常に座右に置かれ 文永7年 ( 1270年 ) に
御自身で書写されています。
君臣の問答の記録です。
我が師日蓮の国家と国主への諫暁の書 【 立正安国論 】 の手本に
なった書です。
この書は日本の政治文化にも大きな影響を与えてきました。
北条政子が自ら邦訳を命じました。
徳川家康や明治天皇も愛読しました。
現代では帝王学と言うよりも
【 リーダー 】 が学ぶ危機を乗り越える為の必読の書です。
それでは今朝一番で見たところを紹介します。
【 そればかりか兵は凶器であり 戦争は危険なことであります。
どうしても やむを得ないときだけにもちいるものでございます。
かりにもし 高麗が唐朝に対する臣節に違背いたしましたならば
陛下がこれを誅伐してさしつかえありません。
中国の人民を侵掠したならば
陛下がこれを滅ぼしてもさしつかえありません。
永久に中国に対して患害をなすものでありますならば
陛下がこれを攻めて降参させてもさしつかえありません。
この中のどれか一つでもございましたならば
たとい我が兵を一日に一万人殺すような戦いをしても
恥ずべき行為ではございません。 】
しかし それをした所で
【 得るところのものは少なくて 損失するものは大き過ぎるのでは
ございませんか 】 と書かれていました。
前後しますがその前のページには
【 領土を拡張することも止めるべき時と思います。
かの高麗などと申すものは
はるかに遠い辺境の卑しい異民族であります。
仁義の道を以て待遇する相手ではなく
中国の礼儀を要求する相手でも
ございません。
古来 魚や鼈 ( すっぽん ) と同様にあしらっていたものでございます。
それゆえ少々の無礼がございましても
大目に見て見逃してやるのがよろしいと存じます。
もしその一族を皆殺しにしてしまおうとお思いになりますならば
獣でも追い詰められればつかみかかって来ますから
高麗も必ず頑強に抵抗する事が非常に心配でございます。 】
と何とも他に言いようのない
現代の日本の様子とも思われる記述がありました。
また死刑執行については
【 陛下には死刑囚を裁決するごとに
必ず三度調べなおし
五度奏上する事を命じ
絶対に誤りがないと言う事になって死罪に処します。
その執行の日には
肉のない素食を進め音楽を停止なされるのは人命は重いもので
聖なる慈愛の御心を感動されるからでございましょう 】
と書かれ
そして武器 ・ 凶器としての兵士については
【 まして今兵士達は 何一つ罪のない者でございます。
理由もなく戦陣の間に駆り出され 鋒刃の下に命を落とし
その肝や脳は泥にまみれ その魂魄は帰るべきところもないようにさせ
兵士達の老父 ・ 孤児 ・ 寡婦 ・ 慈母たちに棺を載せた車を
望んで涙にくれ 枯骨を抱いて胸を痛ませます。
こうした多くの国民の悲しみの集まるところ
必ずや陰陽の変動が生じ
気候の不順を招き 凶作不作となり
全国民の激しい恨みとなります。】
と書かれていました。
わが師日蓮の立正安国論の冒頭部分はこれを引用されています。
今朝の 【 吉野 ! これを読みなさい 】 の声は
まさに ! 時空を飛び越えた恩師の慈悲の声です。
その昔 石川先生 !
私を日蓮正宗の坊さんにして下さい ! とお願いしました。
少し考えてから 【 止めとけ 】 と言われた訳が解かりました。
平成二十一年の一月三十一日は
石川秀頴上人の 【 十三回忌 】 です。
早いものです。
決して偶然ではないと思うのです。
次回は太宗皇帝に意見をした臣下の話です。
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