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2025/08/01 08:30 |
拳骨和尚の辻説法 その782 【 お悔やみの言葉 今昔 】
みなさん ! ごきげんいかがですか。

昨日の辻説法で

『 首を切断された本人と御家族に !

 大石寺のお坊さんと信者さんは !

 どのようにお悔やみの言葉を言われるのでしょうか ?

 明日の辻説法は

 我が師日蓮が !

 どのように言われたかをお話します。 』

と申しました。

ところが !

我が師日蓮のお悔やみの言葉はありませんでした。

涙を流され慟哭されただけでした。

そうです。

今も昔もお悔やみの言葉は一言 !

【 御悔み申し上げます 】 か

【 御愁傷様 】 です。

多くを語る必要がありません。

ましてこの時にご遺族と御本人に向かって !

色が黒いのは 【 堕地獄の相 】

色が白いのは 【 成仏 】 した証拠。

目を完全に瞑っているのは 【 堕地獄の相 】

口びるを半分あけているのが 【 成仏の相 】

等と言うに到っては気の狂った者の言う事です。

拳骨和尚は小学一年の時に両親がお金を借りていた親戚のおばちゃんに

折伏され断りきれずに創価学会と日蓮正宗にはいりました。

ですから正統の日蓮宗身延山の事を詳しくは知りません。

今は大変よく解かります。

ですから ! 大石寺や学会の人に良く解かるように !

大石寺や学会が自慢する 【 南条時光 】 を中心にお話します。

この南条時光を知らない人は 【 もぐり 】 です。

この時光のお母さんを 【 上野殿後家尼 】 と言います。

日蓮大聖人がお手紙 ( 御書 ) を何通も出されています。

この方のご主人を 【 上野殿 ・ 南条兵衛七郎 】 と言います。

鎌倉幕府の地頭です。

この御夫人は五男四女の母です。

松野六郎左衛門の娘です。

この御主人は二男の時光が七歳の時に病気で亡くなります。

この時五男の七郎五郎は母の胎内にいました。

その後家になられた御夫人に日蓮はこう言います。

【 夫れ浄土と云うも地獄と云うも 外には候はず

 ただ我等がむねの間にあり

 これをさとるを仏といふ

 これにまよふを凡夫と云う

 これをさとるは法華経なり

 もししからば法華経をたもちたてまつるものは

 地獄即寂光と さとり候ぞ 】

あの有名な御書 【 上野殿後家尼御返事 】 です。

別名 【 地獄即寂光御書 】 と言います。

【 地獄と云う二字をば つちをほるとよめり

 人の死する時 つちをほらぬもの候べきか

 これを地獄と云う

 死人をやく火は無間の火炎なり

 妻子眷属の死人の前後に あらそひゆくは獄卒阿防羅刹なり

 妻子等のかなしみなくは獄卒のこゑなり

 二尺五寸の杖は鉄杖なり 馬は馬頭 牛は牛頭なり

 穴は無間大城 八万四千のかまは八万四千の塵労

 門家をきりいづるは死出の山

 孝子の河のほとりにたたずむは三途の愛河なり

 別に求むる事 はかなしはかなし

 此の法華経をたもちたてまつる人は 此れをうちかへし

 地獄は寂光土 火焔は報身如来の智火 死人は法身如来

 火坑は大慈悲 為室の応身如来

 又つえは妙法実相のつえ 三途の愛河は生死即涅槃の大海

 死出の山は煩悩即菩提の重山なり

 かく御心得させ給へ

 即身成仏とも 開仏知見とも これをさとり

 これをひらくを申すなり

 提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき

 竜女が即身成仏もこれより外は候はず

 逆即是順の法華経なればなり これ妙の一字の功徳なり 】

大変難しいですが !

どのような死に方をしても !

法華経を死んでも離さなかったら !

地獄が即寂光の浄土になる ! と言われているのです。

首をはねられても ! 焼け死んでも ! です。

この尼御前は弘安7年5月に亡くなられます。

大聖人滅後の二年後の事です。

南条家の当主になった 【 南条時光 】 は

正慶元年 ( 1332 )74歳で没しました。

法号 ( 戒名 ) は 【 大行尊霊 ・ だいぎょうそんれい 】 です。

拳骨和尚は今までこのような戒名法号を見た事も聞いた事もありません。

一体誰がこの戒名をお付けになったのでしょうか。

何か特別の意味があるのでしょうか ?

今日大石寺が存続できるのはこの人の御供養のお陰です。

時光の死亡の原因は

鎌倉幕府滅亡に際し

南条時光が元執権北条高時に従った為の戦死です。

大石寺の大檀那 ! 南条時光に対しても

色が白い ! 半眼半口 ! でなければ地獄に堕ちている !

とおっしゃるのでしょうね。

本抄は文永二年 ( 1265年 )7月11日 我が師日蓮の

四十四歳の時のお手紙です。

鎌倉で書かれました。

御真蹟は現存していませんが

末文に

【 此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ 秘しさせ給へ 】 と

書かれています。

【 秘しさせ給へ 】 とはどう言う意味でしょうか。

御遺族と御本人の神経を逆なでするような余計な事を

【 べらべら ! 喋るな ! 】 の意味ではないでしょうか。

拳骨和尚はそう思います。


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2008/12/22 22:29 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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