みなさん ! ごきげんいかがですか。
拳骨和尚は大事な証拠を見落としていました。
大石寺が日蓮大聖人の第650遠忌の記念事業を計画し
寄付を集めた後に
授与した60世の曼荼羅の書写した日付は 【 昭和七年二月二十三日 】 です。
この日付けは授与した日付ではありません。
ところが650遠忌の法要は 【 昭和六年十月十三日 】 でした。
大阪蓮華寺の檀家の河村○○さんのような篤志家は !
五千人に上りました。
この日付 !
どうせなら 【 昭和六年十月十三日 】 にされるべきと !
拳骨和尚は思います。
現金引換えではなく !
先に集金を済ませた後で
商品を作り納入する商人のようです。
在庫も返品もありません。
ところが !
【 昭和六年の十月 】 に授与した !
【 10.000幅 】 の曼荼羅があったのです。

それは 【 未来曼荼羅 】 と言って
【 柩や骨壷の中に入れた 】 と
創価学会のアングラ雑誌 【 地涌からの通信 】 は書いています。
辻説法 568 【 総集編 その三 】 2008年6月19日
http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/200806190000/
まあ ! 御覧下さい。
創価学会の池田名誉会長の鶴の一声で !
金に糸目をつけず ! 教学部全員で ! 大石寺の矛盾点を !
これでもか ! と炙り出した結果です。
こんなの ! 今頃誰がもっていますか ?
昭和六年ですよ !
拳骨和尚は昭和二十七年生まれです。
その脇書きには
【 宗祖大聖人第六百五十御遠忌 壱万幅之内 昭和六年十月 御恩忌之砌 】
と書かれています。

普通 !
常識として 【 柩や骨壷 】 に納入する曼荼羅は
その時に書写すべきものです。
それを ! 10.000幅も ! 予め用意するとは !
あまりにも準備が良すぎませんか ?
それを大聖人六百五十遠忌之法要で配るとは ・ ・ ・
拳骨和尚は ・ ・ ・ 考えられません。
これらの事は創価学会でなくても !
誰でも可笑しいと思わなければいけません。
常識以前の話です。
現在 !
これと同じ事を創価学会は繰り返しています。
大石寺の66 ・ 67世の貫首の書写した
縮小 ・ 印刷の曼荼羅を全部 !
26世の貫首の書写した軽表装の曼荼羅に
取り替えたら !
どのくらいの数になるだろ~と
【 取らぬ狸の皮算用 】 の算盤を弾いてしまいました。
拳骨和尚は大事な証拠を見落としていました。
大石寺が日蓮大聖人の第650遠忌の記念事業を計画し
寄付を集めた後に
授与した60世の曼荼羅の書写した日付は 【 昭和七年二月二十三日 】 です。
この日付けは授与した日付ではありません。
ところが650遠忌の法要は 【 昭和六年十月十三日 】 でした。
大阪蓮華寺の檀家の河村○○さんのような篤志家は !
五千人に上りました。
この日付 !
どうせなら 【 昭和六年十月十三日 】 にされるべきと !
拳骨和尚は思います。
現金引換えではなく !
先に集金を済ませた後で
商品を作り納入する商人のようです。
在庫も返品もありません。
ところが !
【 昭和六年の十月 】 に授与した !
【 10.000幅 】 の曼荼羅があったのです。
それは 【 未来曼荼羅 】 と言って
【 柩や骨壷の中に入れた 】 と
創価学会のアングラ雑誌 【 地涌からの通信 】 は書いています。
辻説法 568 【 総集編 その三 】 2008年6月19日
http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/200806190000/
創価学会の池田名誉会長の鶴の一声で !
金に糸目をつけず ! 教学部全員で ! 大石寺の矛盾点を !
これでもか ! と炙り出した結果です。
こんなの ! 今頃誰がもっていますか ?
昭和六年ですよ !
拳骨和尚は昭和二十七年生まれです。
その脇書きには
【 宗祖大聖人第六百五十御遠忌 壱万幅之内 昭和六年十月 御恩忌之砌 】
と書かれています。
普通 !
常識として 【 柩や骨壷 】 に納入する曼荼羅は
その時に書写すべきものです。
それを ! 10.000幅も ! 予め用意するとは !
あまりにも準備が良すぎませんか ?
それを大聖人六百五十遠忌之法要で配るとは ・ ・ ・
拳骨和尚は ・ ・ ・ 考えられません。
これらの事は創価学会でなくても !
誰でも可笑しいと思わなければいけません。
常識以前の話です。
現在 !
これと同じ事を創価学会は繰り返しています。
大石寺の66 ・ 67世の貫首の書写した
縮小 ・ 印刷の曼荼羅を全部 !
26世の貫首の書写した軽表装の曼荼羅に
取り替えたら !
どのくらいの数になるだろ~と
【 取らぬ狸の皮算用 】 の算盤を弾いてしまいました。
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コメント
ニセ本尊。この言葉を最初に言った人物をご存知ですか。
今は亡き正信会元議長、久保川法章師です。
これは血脈断絶の日顕師の曼陀羅の事を言ったもので、日蓮正宗がニセ本尊なる言葉を使っているのは自語相違と言った処でしょうか。
曼陀羅イコール本尊では有りません。
本尊義についてじっくり調べてみて下さい。
開眼や勧請などの化儀を持って、行者と感応道交して初めて本尊足りえるのです。
これは他宗でも同じであります。
只、掛けているだけでは単なる掛軸以上の何者でもありませんね。
方便品の唯仏与仏の諸法実相の法門を研究して下さい。
仏界のみでは仏界は成り立たず、衆生の九界のみでも九界はなりたちません。
御本尊が偽物とか本物という貴殿の心境が理解できません。
他宗の仏師が彫刻した阿弥陀や大日如来をニセ阿弥陀とかニセ仏等と言っているのを寡聞にして聞いた事がありません。
古刹では秘仏として数十年に一度御開帳しているのがニセ仏など誰しも想像だにしないでしょう。
そういう些細な事に拘り人生を妄想に捕われて過ごす貴方こそ哀れにおもえますが。
組織の上部職員など只の凡夫です。
凡夫の言う事は一度疑ってかかるのが現代人の批判精神でしょう。
より一層の法門研究を期待しております。
今は亡き正信会元議長、久保川法章師です。
これは血脈断絶の日顕師の曼陀羅の事を言ったもので、日蓮正宗がニセ本尊なる言葉を使っているのは自語相違と言った処でしょうか。
曼陀羅イコール本尊では有りません。
本尊義についてじっくり調べてみて下さい。
開眼や勧請などの化儀を持って、行者と感応道交して初めて本尊足りえるのです。
これは他宗でも同じであります。
只、掛けているだけでは単なる掛軸以上の何者でもありませんね。
方便品の唯仏与仏の諸法実相の法門を研究して下さい。
仏界のみでは仏界は成り立たず、衆生の九界のみでも九界はなりたちません。
御本尊が偽物とか本物という貴殿の心境が理解できません。
他宗の仏師が彫刻した阿弥陀や大日如来をニセ阿弥陀とかニセ仏等と言っているのを寡聞にして聞いた事がありません。
古刹では秘仏として数十年に一度御開帳しているのがニセ仏など誰しも想像だにしないでしょう。
そういう些細な事に拘り人生を妄想に捕われて過ごす貴方こそ哀れにおもえますが。
組織の上部職員など只の凡夫です。
凡夫の言う事は一度疑ってかかるのが現代人の批判精神でしょう。
より一層の法門研究を期待しております。
posted by 悠々満々at 2016/01/04 10:13 [ コメントを修正する ]
日蓮正宗・創価学会などの富士派の御本尊は皆偽物ですよ!
しかも、日道の時代からずうっとです!
創価も知らないまま授与されていたんだから哀れなもんだよ!