みなさん ! ごきげんいかがですか。
拳骨和尚は年にもめげず ! 頑張っています。
頑張りすぎてひっくり返りそうです。
元気で男前でお利口のわんこに引かれてお腹がすいてしまい
腹いっぱい御飯と日本酒を頂いて肥えてしまいました。
拳骨和尚は三才の時にほっぺたを犬に噛まれて !
それ以来犬が恐いのです。
今も大きな傷が残っています。
でもこの 【 ビリー 】 と言う名前のわんこのお陰で
【 リハ ・ ビリー 】 が進み 【 虎馬 】 が消えかけています。
三才の子供が犬に噛まれる !
余程噛んだ犬の感に触ることをしたのでしょうね ・ ・ ・
さて !
今日の辻説法は
【 間一髪 ! ある美術館の閉鎖 】 と題しまして
石山人先生の入魂の
【 世界平和の祈り
焼石 ( セッキ ) 柿織部 聖杯 「 南 」
仏陀誕生の聖木
銘 「 無憂樹 」 馬上杯
奈良薬師寺 安田暎胤 箱書
美濃 石山人 作 】
が ! もう少しで !
日の目を見なくなるところだったお話です。
石山人先生は日本宗教者代表者会議の依頼で
ローマ法王に 【 東 】 の聖杯を献上されました。
その時の同作の 【 東西南北 】 の四つの聖杯の内
先生の手元にある 【 南 ・ 北 】 の 【 南 】 の聖杯を
自身の古希を記念して岐阜県の岐南町にある
【 大松美術館 】 に展示されたのです。
展示終了後には寄贈する予定だったのです。
去年の四月の事でした。
ですから展示終了後そのまま展示してあったのです。
その展示してあった聖杯を !
何故 ! 拳骨和尚に下さったのか ?
ミステリーです。
二月十五日に石山人先生の所に行きました。
午前中に拳骨和尚の 【 1094体 】 目の大曼荼羅を差し上げました。
涙を流されました。
食事の後なにも言わずに 【 南 】 の聖杯を下さいました。
その時に言われました。
去年の暮れまで岐南町の大松美術館に展示してあったのだが
ちょっと訳があって引き取ってきた。
これは吉野上人の所へ行く ・ ・ ・ ものなんだろうな ・ ・ ・ と
独り言にも聞こえる言葉を。
その時は別段気にも止めませんでした。
大阪に帰り頂いた資料を整理していました。
その中に一枚 ! カラーの新聞記事がありました。
その記事に上記の事が書いてありました。
拳骨和尚は 【 大松美術館 】 のことをネットで検索しました。
http:// chubu.y omiuri. co.jp/k yoiku/k yo08123 0_1.htm
美術館閉館の記事でした。
【 2008.12.30 】 の読売新聞の記事です。
年末の大晦日の一日前の記事です。
でも拳骨和尚が石山人先生の所に行った時は
ちゃんと ! 押入れにありました。
たった今 !
石山人先生から電話がありました。
色紙が届いた !
ありがとう。
折れたり曲がったりしていませんでしたか ?
大丈夫 !
この詩
【 石山人 塔より出れば 御仏の 鉢にあふれる 寶かな 】 は
お上人が読まれたのか ?
はい !
石山人と拳骨和尚にしか ! 解からないなあ !
本当にありがとう !
と言って下さいました。
そうそう !
薬師寺の安田管長経由で三笠の宮寛仁殿下に焼石の湯飲みが渡された
と言われていました。
殿下は七回も開腹手術をしておられるので
この湯呑みで飲んでいただければお腹に良いだろうな。
そう言うわけで !
【 南 】 の聖杯が拳骨和尚のものなりました。
今年は桃山学院の125周年
大學創立 ・ 空手道部創部50周年です。
この聖杯のトルネード旋風が !
全世界を駆けめぐります。
拳骨和尚は年にもめげず ! 頑張っています。
頑張りすぎてひっくり返りそうです。
元気で男前でお利口のわんこに引かれてお腹がすいてしまい
腹いっぱい御飯と日本酒を頂いて肥えてしまいました。
拳骨和尚は三才の時にほっぺたを犬に噛まれて !
それ以来犬が恐いのです。
今も大きな傷が残っています。
でもこの 【 ビリー 】 と言う名前のわんこのお陰で
【 リハ ・ ビリー 】 が進み 【 虎馬 】 が消えかけています。
三才の子供が犬に噛まれる !
余程噛んだ犬の感に触ることをしたのでしょうね ・ ・ ・
さて !
今日の辻説法は
【 間一髪 ! ある美術館の閉鎖 】 と題しまして
石山人先生の入魂の
【 世界平和の祈り
焼石 ( セッキ ) 柿織部 聖杯 「 南 」
仏陀誕生の聖木
銘 「 無憂樹 」 馬上杯
奈良薬師寺 安田暎胤 箱書
美濃 石山人 作 】
が ! もう少しで !
日の目を見なくなるところだったお話です。
石山人先生は日本宗教者代表者会議の依頼で
ローマ法王に 【 東 】 の聖杯を献上されました。
その時の同作の 【 東西南北 】 の四つの聖杯の内
先生の手元にある 【 南 ・ 北 】 の 【 南 】 の聖杯を
自身の古希を記念して岐阜県の岐南町にある
【 大松美術館 】 に展示されたのです。
展示終了後には寄贈する予定だったのです。
去年の四月の事でした。
ですから展示終了後そのまま展示してあったのです。
その展示してあった聖杯を !
何故 ! 拳骨和尚に下さったのか ?
ミステリーです。
二月十五日に石山人先生の所に行きました。
午前中に拳骨和尚の 【 1094体 】 目の大曼荼羅を差し上げました。
涙を流されました。
食事の後なにも言わずに 【 南 】 の聖杯を下さいました。
その時に言われました。
去年の暮れまで岐南町の大松美術館に展示してあったのだが
ちょっと訳があって引き取ってきた。
これは吉野上人の所へ行く ・ ・ ・ ものなんだろうな ・ ・ ・ と
独り言にも聞こえる言葉を。
その時は別段気にも止めませんでした。
大阪に帰り頂いた資料を整理していました。
その中に一枚 ! カラーの新聞記事がありました。
その記事に上記の事が書いてありました。
拳骨和尚は 【 大松美術館 】 のことをネットで検索しました。
http://
美術館閉館の記事でした。
【 2008.12.30 】 の読売新聞の記事です。
年末の大晦日の一日前の記事です。
でも拳骨和尚が石山人先生の所に行った時は
ちゃんと ! 押入れにありました。
たった今 !
石山人先生から電話がありました。
色紙が届いた !
ありがとう。
折れたり曲がったりしていませんでしたか ?
大丈夫 !
この詩
【 石山人 塔より出れば 御仏の 鉢にあふれる 寶かな 】 は
お上人が読まれたのか ?
はい !
石山人と拳骨和尚にしか ! 解からないなあ !
本当にありがとう !
と言って下さいました。
そうそう !
薬師寺の安田管長経由で三笠の宮寛仁殿下に焼石の湯飲みが渡された
と言われていました。
殿下は七回も開腹手術をしておられるので
この湯呑みで飲んでいただければお腹に良いだろうな。
そう言うわけで !
【 南 】 の聖杯が拳骨和尚のものなりました。
今年は桃山学院の125周年
大學創立 ・ 空手道部創部50周年です。
この聖杯のトルネード旋風が !
全世界を駆けめぐります。
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