みなさん ! ごきげんいかがですか。
これから始まる辻説法は ・・・ ちとややこしいかも知れません。
頭を柔軟にして心を白紙に戻して体をリラックスしてお聞きください。
日蓮が自筆の大曼荼羅に約三年間だけ例外的に書き込んだ文字 !
【 若脳乱者 頭破七分 】 と 【 有供養者 福過十号 】 等は
弘安元年から始まり弘安三年四月八日以降は完全に削除されます。
それ以後死ぬまで書かれることは決してありませんでした。
書くのを止められた日は 【 弘安三年四月八日 】 です。
そうです !
日蓮教団最初の農民の犠牲者 ・ 熱原郷の百姓神四郎たちです。
富士門流 ・ 日興門流では 【 熱原の三烈士 】 と言われ信者の手本として
尊敬されています。
今でも 【 熱原の三烈士に続け ! 】 と檄を飛ばされています。
( 拳骨和尚には 【 お前ら死んでこい 】 と聞こえます。)
【 弘安三年四月八日 】 がこの三烈士の処刑の日です。
処刑の日がこの日だと言われているのは大石寺59世です。
いわゆる本門戒壇の大本尊の建立日とされる弘安二年十月十二日から
半年後のことです。
捕らえられた20名のうち3名は斬首 ・・・
17名は所払い ・ 追放になりました。
この日を境に日蓮は本当に書くのを止めます。
そして死ぬまで書かれることはありませんでした。
現存する日蓮の直筆の大曼荼羅を見れば一目瞭然です。
和尚さん !
では何故今でも日興門流の御本尊には
【 若脳乱者 頭破七分 】 と 【 有供養者 福過十号 】 等が書かれているのですか ?
それは詳しくは解りませんが ・・・
【 御本尊七個相承 】 にそのように書きなさいと書いてあるからです。
【 富士宗学要集第一巻 】 ( 創価学会発行 ・ 堀日亨 ) に載っています。
この 【 御本尊七個相承 】 は日蓮の直筆の大曼荼羅の相貌からすると・・・
矛盾する所がいっぱい出てきます。
大きな 【 偽 】 と 【 疑 】 がついて離れません。
さて !
【 若脳乱者 頭破七分 】 と 【 有供養者 福過十号 】 の
何の文字が省略されているのでしょうか ?
続く ・・・
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