みなさん ! ごきげんいかがですか。
今日の辻説法は 【 吹き溜まり 】 です。
【 吹き溜まり 】 とは
1.雪や落ち葉などが風に吹き寄せられてたまっている場所。
2.行き場のない人たちが、自然と寄り集まる所。 「 社会の― 」
です。
何だかわびしい気になります。
拳骨和尚の寺から歩いて五分の所にある 【 長池 】 はけっこう大きな池です。
今は蓮の華が咲きはじめています。
この池にも吹き溜まりがありました。
五月頃でしょうか ・・・ 写真を撮りました。
【 蓮華が水に在るが如く 】 の水は お釈迦さまの時代は
臭気漂う腐った 【 泥水 】 のことでした。
ところが現代の水の意味は ・・・ ペットボトルの浮かぶ水に変わりました。
拳骨和尚の子供の頃には決して見ることが出来なっかた風景です。
此処池の西側に放水口があるのです。
放水口には金網がありましてゴミが流れ出さないようになっています。
ですから此処が吹き溜まりになってしまうのです。
この吹き溜まりに蓮の華が咲いていれば絵になったのでしょうが ・・・
今 ! 此処には名も無き水草が綺麗な花を咲かせていました。
ゴミが無くなった訳ではないと思うのですが ・・・
ペットボトルも水草で見えなくなっていました。
見えなくなったら ・・・ それでいい ・・・
なんてことはあってはならない事だと思うようになりました。
中国の諺に 【 百年河清を待つ 】 というのがあります。
これは 【 黄河の水が清く澄むのを待っても無駄 ! 】 という意味です。
【 世間の法に染まらざること 蓮華が水に在るが如く 】 と
法華経では申しますが ・・・
ゴミを片付ける人の事をさすのではないかと ・・・
そしてゴミを出さない人のことでもあると思う今日この頃です。
昨今の制御不能に陥った原子力のゴミの片付けに ・・・
携わる人たちこそ 【 泥中蓮華之人 】 であると ・・・
感謝こそすれ ・・・ 何も応援出来ない拳骨和尚は
【 体と心の運転免許証 】 である日蓮の大曼荼羅の書写を
生涯の仕事として功徳を積み
いずれこの功徳を皆さんに回向 ( 回し向ける ) したいと
思い始めました。
PR
トラックバック
トラックバックURL: