みなさん ! ごきげんいかがですか。
さて !
本当は検証などと言う言葉は使いたくありません。
何故ですか ?
だってそうでしょ !
事故と犯罪しか検証はしません。
あなたの善意と愛情が本物か ? を検証します。
なんて言ったら ! もう二度と会ってもらえません。
みなさん ! 覚えておられますか ?
【 能不能 】 を !
出来ますか ? の意味でした。
しかしこれには 【 一定の条件 】 が付くのです。
この条件を決めてから出ないと検証できません。
この条件下で 【 可能 】 か 【 不可能 】 を検証するのです。
でないとしても無意味です。
【 条件 】 とは 【 ある行為が成立するのに必要な事柄 】 です。
さて ! この文書に書かれてある文で条件を決めて行きましょう。
創価学会発行の
【 富士宗学要集 第三巻 ■宗義部[ 2 ] 】 の265ページ
【 臨終用心抄 】 に書かれてある文章です。
【 一、唯今と見る時 本尊を病人の目の前に向へ
耳のそばへより臨終唯今也
祖師 御迎ひに来たり給ふ可し
南無妙法蓮華経と唱へ給へとて
病人の息に合せて速からず遅からず唱題すべし
巳に絶へ切つても
一時ばかり耳へ唱へ入る可し
死ても底心あり 或いは魂去りやらず
死骸に唱題の声聞かすれば 悪趣に生まるる事なし 】
1. 【 唯今と見る時 】
2. 【 本尊を 】
3. 【 病人の 】
4. 【 目の前に 】
5. 【 向へ 】
6. 【 耳のそばにより 】
7. 【 病人の息に合せて速からず遅からず唱題すべし 】
8. 【 巳に絶へ切つても 】
9. 【 一時ばかり耳へ唱へ入る可し 】
10. 【 死骸に唱題の声聞かせれば 】
11. 【 悪趣に生まるる事なし 】
さて行きますよ !
1. 【 唯今と見る時 】 の事を 【 属?之期 ・ しよくこうのき 】 と言うと
最初に書いてありました。
?は綿の意味です。
口と鼻に綿を当てて揺れなくなったときが臨終であると書いています。
つまり息が止まった瞬間の事です。
2. 【 本尊を 】 この本尊はどの本尊でしょうか ?
26世の貫首日寛と言うお上人は江戸時代の人です。
寛文5年生 ( 1665年 )〜 享保11年没 ( 1726年 )
61歳で亡くなられています。
3.4.5.の事を考えると 【 本門戒壇之板本尊 】 ではありません。
重たすぎて持って来れません。
日蓮大聖人の御入滅の時枕頭に掲げた 【 臨滅度時の大曼荼羅 】 でもありません。
当時は大石寺とは違う門流のお寺にあります。
3.【 病人の 】
4.【 目の前に 】
5.【 向へ 】 る事が
出来る御本尊でなければなりません。
当然現在の日蓮正宗や創価学会の印刷 ・ 縮小の本尊でもありません。
時代が違います。
では一体どの本尊でしょうか ?
今も昔も大石寺で本尊を書写できるのは 【 貫首 】 だけだと言われています。
一部例外はあったようですが ・・
とすれば 【 日寛上人 】 の本尊です。
26世の貫首日寛上人の本尊を見ると 【 略式 】 です。
随分省略されています。
何故略式の本尊を書かれたかと言うと
【 十界勧請の大曼荼羅 】 だと小さく書けないからです。
拳骨和尚の一千体書写の大曼荼羅は天地が
【 4尺 ・ 124センチ 】 あります。
ですから一人で天地を持つ事が不可能です。
横は 【 1尺6寸 ・ 50センチ 】 です。
横は持つことは出来ますが持つと病人の目の前にもっていけません。
垂れてしまいます。
病人の !
目の前に !
向へ ( 向かうは正面の事 ) !
耳のそばで !
お題目を !
死んだ後も !
死んだ病人の息 ( ? ) に合わせ !
( 臨終とは息が止まった瞬間を言う )
二時間もお題目を唱えなければならない !
これを実行できれば 【 悪趣に生まるる事なし 】
つまり 【 成仏 】 が出来ると書いてあります。
裏返せば ! これが出来ないと !
【 成仏 】 が出来ないのです。
これはお釈迦さまでも日蓮大聖人でも 【 不可能 】 です。
この臨終用心抄は 【 嘘 】 です。
親の葬式でも正座が出来ずひっくり返った人は沢山います。
創価学会の三時間唱題会は正座との格闘です。
大石寺の夏季講習会で三時間唱題会の導師をしていた人が
終わったあとやっとの事で立ち上がり
足首が返らずひっくり返って捻挫をして大怪我をしました。
本当に ! お題目 ! 御本尊 ! 成仏 ! どころではありませんでした。
この臨終用心抄については59世の堀日亨上人も
【 寛記雑雑 】 と 【 更詳 】 と書かれています。
そして 【 朱 】 で 【 校正 】 を入れられたのです。
さすがに大石寺の中興の祖と言われる日寛上人の名前が出てきている
文章ですのではっきりと 【 嘘 】 と言えない立場が
そのように書かせたのだと思います。
22才の拳骨和尚に 【 河内のオッサン 】 丸出しの
隣りの創価学会のおじさんが言った事 !
このおじさんは難しい漢字がほとんど読めませんでした。
ですから人の話をそのまま ! マル覚えしてしまいます。
もの凄い能力です。
ですから一旦覚えてしまうと変更が非常に困難になるのです。
このおじさんのオリジナルの考えではありません。
創価学会の御書講義を担当する人の勉強会で学習したと思います。
今頃になって !
こんな古い話を !
何故しているのかわかりません。
一つ言えることはこの臨終用心抄は地獄に堕ちるとか
成仏出来ないとかが必要以上に書いてあるのです。
引用されているのは我が師日蓮の御書 ・ 御妙判なのですが
正反対の意味に書かれています。
次々回はその事をお話しましょう。
拳骨和尚 吉野智応です。
このような辻説法をしていると溜息が出てばかりです。
さて !
本当は検証などと言う言葉は使いたくありません。
何故ですか ?
だってそうでしょ !
事故と犯罪しか検証はしません。
あなたの善意と愛情が本物か ? を検証します。
なんて言ったら ! もう二度と会ってもらえません。
みなさん ! 覚えておられますか ?
【 能不能 】 を !
出来ますか ? の意味でした。
しかしこれには 【 一定の条件 】 が付くのです。
この条件を決めてから出ないと検証できません。
この条件下で 【 可能 】 か 【 不可能 】 を検証するのです。
でないとしても無意味です。
【 条件 】 とは 【 ある行為が成立するのに必要な事柄 】 です。
さて ! この文書に書かれてある文で条件を決めて行きましょう。
創価学会発行の
【 富士宗学要集 第三巻 ■宗義部[ 2 ] 】 の265ページ
【 臨終用心抄 】 に書かれてある文章です。
【 一、唯今と見る時 本尊を病人の目の前に向へ
耳のそばへより臨終唯今也
祖師 御迎ひに来たり給ふ可し
南無妙法蓮華経と唱へ給へとて
病人の息に合せて速からず遅からず唱題すべし
巳に絶へ切つても
一時ばかり耳へ唱へ入る可し
死ても底心あり 或いは魂去りやらず
死骸に唱題の声聞かすれば 悪趣に生まるる事なし 】
1. 【 唯今と見る時 】
2. 【 本尊を 】
3. 【 病人の 】
4. 【 目の前に 】
5. 【 向へ 】
6. 【 耳のそばにより 】
7. 【 病人の息に合せて速からず遅からず唱題すべし 】
8. 【 巳に絶へ切つても 】
9. 【 一時ばかり耳へ唱へ入る可し 】
10. 【 死骸に唱題の声聞かせれば 】
11. 【 悪趣に生まるる事なし 】
さて行きますよ !
1. 【 唯今と見る時 】 の事を 【 属?之期 ・ しよくこうのき 】 と言うと
最初に書いてありました。
?は綿の意味です。
口と鼻に綿を当てて揺れなくなったときが臨終であると書いています。
つまり息が止まった瞬間の事です。
2. 【 本尊を 】 この本尊はどの本尊でしょうか ?
26世の貫首日寛と言うお上人は江戸時代の人です。
寛文5年生 ( 1665年 )〜 享保11年没 ( 1726年 )
61歳で亡くなられています。
3.4.5.の事を考えると 【 本門戒壇之板本尊 】 ではありません。
重たすぎて持って来れません。
日蓮大聖人の御入滅の時枕頭に掲げた 【 臨滅度時の大曼荼羅 】 でもありません。
当時は大石寺とは違う門流のお寺にあります。
3.【 病人の 】
4.【 目の前に 】
5.【 向へ 】 る事が
出来る御本尊でなければなりません。
当然現在の日蓮正宗や創価学会の印刷 ・ 縮小の本尊でもありません。
時代が違います。
では一体どの本尊でしょうか ?
今も昔も大石寺で本尊を書写できるのは 【 貫首 】 だけだと言われています。
一部例外はあったようですが ・・
とすれば 【 日寛上人 】 の本尊です。
26世の貫首日寛上人の本尊を見ると 【 略式 】 です。
随分省略されています。
何故略式の本尊を書かれたかと言うと
【 十界勧請の大曼荼羅 】 だと小さく書けないからです。
拳骨和尚の一千体書写の大曼荼羅は天地が
【 4尺 ・ 124センチ 】 あります。
ですから一人で天地を持つ事が不可能です。
横は 【 1尺6寸 ・ 50センチ 】 です。
横は持つことは出来ますが持つと病人の目の前にもっていけません。
垂れてしまいます。
病人の !
目の前に !
向へ ( 向かうは正面の事 ) !
耳のそばで !
お題目を !
死んだ後も !
死んだ病人の息 ( ? ) に合わせ !
( 臨終とは息が止まった瞬間を言う )
二時間もお題目を唱えなければならない !
これを実行できれば 【 悪趣に生まるる事なし 】
つまり 【 成仏 】 が出来ると書いてあります。
裏返せば ! これが出来ないと !
【 成仏 】 が出来ないのです。
これはお釈迦さまでも日蓮大聖人でも 【 不可能 】 です。
この臨終用心抄は 【 嘘 】 です。
親の葬式でも正座が出来ずひっくり返った人は沢山います。
創価学会の三時間唱題会は正座との格闘です。
大石寺の夏季講習会で三時間唱題会の導師をしていた人が
終わったあとやっとの事で立ち上がり
足首が返らずひっくり返って捻挫をして大怪我をしました。
本当に ! お題目 ! 御本尊 ! 成仏 ! どころではありませんでした。
この臨終用心抄については59世の堀日亨上人も
【 寛記雑雑 】 と 【 更詳 】 と書かれています。
そして 【 朱 】 で 【 校正 】 を入れられたのです。
さすがに大石寺の中興の祖と言われる日寛上人の名前が出てきている
文章ですのではっきりと 【 嘘 】 と言えない立場が
そのように書かせたのだと思います。
22才の拳骨和尚に 【 河内のオッサン 】 丸出しの
隣りの創価学会のおじさんが言った事 !
このおじさんは難しい漢字がほとんど読めませんでした。
ですから人の話をそのまま ! マル覚えしてしまいます。
もの凄い能力です。
ですから一旦覚えてしまうと変更が非常に困難になるのです。
このおじさんのオリジナルの考えではありません。
創価学会の御書講義を担当する人の勉強会で学習したと思います。
今頃になって !
こんな古い話を !
何故しているのかわかりません。
一つ言えることはこの臨終用心抄は地獄に堕ちるとか
成仏出来ないとかが必要以上に書いてあるのです。
引用されているのは我が師日蓮の御書 ・ 御妙判なのですが
正反対の意味に書かれています。
次々回はその事をお話しましょう。
拳骨和尚 吉野智応です。
このような辻説法をしていると溜息が出てばかりです。
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