みなさん ! ごきげんいかがですか。
拳骨和尚は 【 硬派 ・こうは 】 でした。
今は随分柔らかくなりました。
でも 【 軟派 ・ なんぱ 】 ではありません。
隣りのおじさんに無理矢理家に連れ込まれ !
いきなりされたのは 【 臨終 】 の話でした。
『 やすのぶ君 !( 拳骨和尚の名前です )
やすのぶ君のお父ちゃんが死にそうになった時 !
仏壇から 【 御本尊さま 】 を外して !
お父ちゃんの目の前にもって行くんや !
それからお父ちゃんの息に会わせて御本尊さまを前後にゆっくり動かして
お題目を唱えるんや !
死んでもやめたらあかん !
そのまま !
二時間はお題目は唱えなあかん !
これがでけへんかったら ! 成仏でけへんのや ! 』
【 このオッサン ! 】
一体何を言い出すのや !
と思いました。
何処でこの情報を仕入れてきたのでしょうか ?
決まっています。
座談会の御書講義を担当していたこのおじさんは
御書講義をする人の為の勉強会で仕入れてきたのです。
初耳です。
今まで一度も聞いた事がありませんでした。
あまりにも ! 熱心に ! 得意気に話すのです。
拳骨和尚は 【 はい ! よく解かりました 】 と答え
お父さんの臨終の時には 【 拳骨和尚 】 がします。
それで !
おじさんの臨終の時は 【 ○○君 】 がしてくれるのですね !
と言った瞬間に !
おじさんの顔が一瞬 【 曇り 】 ました。
このおじさんの長男は中学が拳骨和尚と同級生だったのです。
彼にはお姉さんが二人いました。
中学に進学した時に四人目が生まれ卒業前に五人目が生まれました。
○○君はしかた無しに定時制高校に進学しました。
高校の学費を自分で工面しなければならなかったのです。
大学も二部です。
高校大学と働きながら頑張ったのです。
ですから創価学会の活動など出来る理由などありませんでした。
そんな理由を知らない学会の学生部の幹部達は○○君を
会合に出てくるように誘います。
○○君は 創価学会を 【 すす 】 ほど嫌っていました。
他の人の前では言いませんでしたが !
拳骨和尚には幼馴染のよしみで本当の事を言っていました。
昭和五十年三月 !
拳骨和尚は就職の為に岐阜県の大垣市に引っ越しました。
それ以来この隣りのおじさんには会っていません。
このおじさん平成元年に亡くなりました。
この連絡を受けた時に真っ先に思い出したのが !
臨終の時 ! 仏壇の御本尊を外して ・ ・ ・ の話でした。
おそらく ! 多分 ! きっと !
○○君はしていないだろう ・ ・ ・
だって創価学会 ! 大嫌いと言っていたからです。
拳骨和尚のお父さんが亡くなったのは平成八年十二月十六日の事です。
その一ヶ月半後の平成九年一月三十一日に拳骨和尚の在家の時の師匠
奈良県竜田川の日蓮正宗法雲寺の初代住職 【 故石川秀頴先生 】 が
亡くなられました。
ですからこのおじさんが言ったことが事実であるか石川先生に
聞くのをツイうっかり聞くのを忘れていたのです。
でも ! 長い間気になっていたのも事実です。
お父さんにも石川先生にもこれらの事が成された事実はありません。
拳骨和尚が知る限り創価学会の会員にも
日蓮正宗の信者にも
臨終の時に仏壇から御本尊を外して目の前にもって行き
耳元で二時間もお題目を聞かせている姿など !
本当に一度も見た事も聞いた事もありませんでした。
これは拳骨和尚の話ですから 他の会員さんや 信者さんが
見たり聞いたりされたかは保証の限りではありません。
ところが ! 最近ふとした事でこの事が書かれてある
創価学会が発行した日蓮正宗の
【 富士宗学要集 第三巻 宗義部 】 に書かれているのを
偶然に見つけてしまいました。
つづく
拳骨和尚
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