みなさん ! ごきげんいかがですか。
辻説法 1270 【 熱原追善供養の曼荼羅 】 でお話しました
日興上人書写 【 徳治3年4月8日 ・ 1308年 】 の曼荼羅の賛文の
全文がありました。
【 徳治三年卯月八日 駿河の国富士の下方熱原の住人
神四郎 法華宗と号し
平の左衛門の為に首を切らるる三人の内なり。
左衛門入道 法華衆の首を切る後
十四年を経て謀反を謀り 許され畢ぬ。
『 その子孫跡形無く滅亡し畢ぬ 』 】
( 富士宗学要集八巻 217頁 )
徳治3年は 【 1308年 】 です。
弘安2年は 【 1279年 】 です。
なんと ! 29年後です。
日興というお上人は熱原の出来事の恨みが骨の髄まで染み込んで
生涯忘れる事など出来なかったのでしょう。
当然といえば当然でしょうが ・・・
でも ! これは 【 賛文 】 でしょうか ?
ずいぶん前の辻説法に賛文のことを書いています。
是非お読み下さい。
辻説法 595 【 頭破七分と福過十号 】 2008年7月12日
http://
昨日5月14日は拳骨和尚のお母さんの誕生日でした。
満87歳になられました。
久しぶりに親子でゆっくりと話しました。
一つお願いをいたしました。
百まで生きて下さい ! と
出来たら ! 百オーバーでお願いします。
母は がんばります !
でした。
PR
トラックバック
トラックバックURL:
コメント
見るな
レスありがとう。詳細はこれです+.(・∀・).+★ http://www.64n.co/
posted by わかりませんURLat 2012/01/07 12:03 [ コメントを修正する ]