【 そして双子は二十歳になった 】
昭和18年5月に男女の双子は二十歳になった。
大東亜戦争の真っ最中の話である。
妹は女学校を卒業すると東京の鉄道省に就職。
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拳骨和尚は知りませんでした。
兄は県立・尾道商業を卒業。
学校の推薦で満州の電信電話会社に就職。
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母の話によると剣道三段・居合二段・槍二段の兄は仕事などせずに
中国大陸を信玄袋を竹刀で担いで剣道の試合に飛び回っていたらしい。
二十歳になった時満州から一度だけ帰国した。
新潟港について広島の三原まで。
満州へは下関から船に乗った。
この時名付け親のお医者さんは亡くなっていた。
顔を見せに行く約束は果たせなかった。
二十歳の誕生日・・・これが最後・・・双子は二度と会うことは無かった。
この時の写真~母は日本髪を結っている。
誰かに見つかれば ! 非国民と言われるに決まっている。
いい度胸をしています。
こには後日談がある。
また今度~。
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【 二年ぶりにお会いした 】
そして一緒に飲んだ ~ 吉本先生。
いたって普通の人である。
二年前の辻説法 2277 【 いたって普通の人である 】
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いつだったか忘れたが~NHKのアスリート魂と言う番組に出ておられた。
【 暗闇の中でも的を射ることができるか?吉本清信 範士の正射正中 】
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こんな事ができるのか ? その秘訣を
今度お会いした時にその秘訣を聞いてみようと思っていた。
ところが昨年の集まりに吉本先生は欠席。
残念至極。
今年の1月31日に大阪で再開。
奇しくも隣の席になった。
吉野さん先生は止めてください。
では何とお呼びしたら ・・・ 吉本さんでいいのではないですか。
はい ! 分かりました。
お酒も入って二人共いい気分になった。
それでお聞きした ~ 闇の中での射。
こぼれ話に内緒話 ~ いろいろお答えくださった。
それを此処では話せない ~ ご容赦。
二年前に吉本先生は大病をされたと話をされた。
それで拳骨和尚の三度にわたる病気自慢を話ましたよ。
それを聞かれて参考にしますと言われたよ。
この人お医者さんです。
お坊さんでもあります。
それともう一つ全日本学生空手道連盟より六段位を授与されましたと報告した。
ことのほか喜んでくだされた。
だって身障者が奇跡の復活を遂げたんだから。
【 母の反抗期 】
昨夜の話。
母は母の母に女学校の時
一度だけ逆らって生意気な事を言った。
逆らった内容はきれいさっぱり忘れたそうである。
その時母の母はうっすらと涙を浮かべ・・・こう言った。
貧乏人の子沢山。。。
母と兄の双子の兄妹は下から二番目に生まれた。
その時六人兄弟。
父親が一人を里子に出そうと言った。
当然出されるのは妹の方。
その時母の母はこう言った。
いくら貧乏しても二人とも育てたい。
乳も二つあります! と。
それで父も納得せざるを得なかった。
それを聞かされた母は 【 お母さんごめんなさい 】 と謝ったそうな。
それで反抗期は終った。
祖母は明治18年生まれ。
亡くなったのは昭和20年12月。
享年61歳。
拳骨和尚の生まれる七年前の話。
母と母の母 やはり親子。
よく似ている。
【 母の自慢話 】
年老いた91歳の母の自慢話を聞く63歳の息子。
世間にはあまりいない ~ と思う。
しかし母の話は面白い !
昨夜は母の自慢話。
自分の自慢ではない。
双子の兄の自慢である。
身長は六尺の大男。
ケンかも強かった ?
いや ! ケンかなんかするような人ではなかった。
こんな武術の達人にケンカなど売ったら命が幾つあっても ・・・
よほど頼りになる兄だったに違いない。
自慢 !
その1. 剣道は大日本武徳会・武徳殿の三段。
その2. 居合は二段。
その3. 佐分利流・槍術も二段。
へえ ~ 知りませんでした。
本当の武道家だったんだ。
母は高等小学校を二年で卒業。
三原市立・實科高等女学校に入学。
兄は小学校六年を卒業後 広島県立・尾道商業学校(五年制)に入学。
兄は剣道部。
母はバスケット部とバレーボール部に。
その頃の写真です。
ボールを持っているのが母。
なんと ~ 二人ともでかい !
でも ~ この写真誰が撮ったの ?
【 佐分利流・槍術 】
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