【 मण्डल maṇḍala シリーズ 12 】
【 きっと ! 日蓮はこうしたかった ・・・ 】
現存する日蓮最初の本尊には 【 主題一編と不動 ・ 愛染の梵字 】 と
【 文永八年 十月九日 】 【 相州本間依智 書之 】 と書かれている。
ところが第二番目には 【 主題一編と不動 ・ 愛染の梵字 】 と 【 釈迦牟尼仏 ・ 多宝如来 】
【 文永九年 六月十六日 】 【 於佐渡国 図之 】 と書かれている。
【 書 】 と 【 図 】
違いは言わなくて解る。
文字と絵画。
では最初と二番目の違いは ?
二番目の方に 【 釈迦牟尼仏 】 と 【 多宝如来 】 が追加されている ・・・ だけ。
たったこれだけの理由で ・・・ 書と図 ・・・ の使い分け。
疑問に思うのは拳骨和尚だけか ?
普通の人間だったら ・・・ その理由を聞く。
十分納得できる説明がなされないなら ・・・ 誰からも相手にされない。
是 ! 世の常識。
人間の行動には原因となる動機が必ずある ・・・
なければ ・・・ 行動が起こるわけがない。
日蓮の試行錯誤 ・・・ とても面白い。
心の動き ・ 変化 が手に取るように解る。
この二つの書と図の説明は ・・・ 日蓮の 【 御本尊集目録 】 に載っていた。
是は大正年間に発行された書物。
【 ないも書かれていない 】 のも 【 大曼陀羅 】 も 【 大漫荼羅 】 も
すべてこの目録に収められている。
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キリスト教のインド伝来トマスの福音書の影響を強く受けていると論証されていました。
日蓮自身が聖書に触れたことは考えられませんが、森山師曰く「日蓮自身が法華経の文の底に有る久遠実成の釈迦牟仁仏を神イエス・キリストと重ねて瞑想していた。それを南無妙法蓮華経という題目として表した。彼は無神論的仏教徒では無く有神論的仏教徒で有った。」
こう言う説も今の文献学的仏教論から観ると面白いと思います。